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路線
2019.07.14更新
歴史を更新しました。
中央線
概要

20系 <拡大可> 中央線は、大阪市住之江区のコスモスクエアから弁天町・本町・森ノ宮などを経て、東大阪市の長田までの17.9kmを結ぶ、東西に軸を持つ路線である。正式名称は高速電気軌道第4号線、大阪市交通局では大阪市高速鉄道第4号線と呼ばれていた。愛称の「中央」は、路線が中央大通の地下を通ることに由来する。ラインカラーは緑色(スペクトリウムグリーン:マンセル記号 5G4.5/10)であり、これは沿線の大阪城公園の木々をイメージしたものである。
路線図
正式名称 高速電気軌道第4号線
旧局内名称 大阪市高速鉄道第4号線
愛称 中央線 Chuo Line
開業 1961(昭和36)年12月11日
最終ダイヤ改正 2018(平成30)年03月24日
営業区間 コスモスクエア(大阪府大阪市住之江区)〜長田(大阪府東大阪市)
路線距離/運賃計算キロ 17.9km/17.9km
管轄 コスモスクエア〜大阪港 2.4km
大阪市高速電気軌道(第二種鉄道事業)
大阪港トランスポートシステム(第三種鉄道事業)

大阪港〜長田 15.5km
大阪市高速電気軌道(軌道事業)
指令 輸送指令所
乗務所 森之宮乗務所
相互直通運転 近畿日本鉄道株式会社
けいはんな線:長田
(大阪府東大阪市)〜学研奈良登美ヶ丘(奈良県奈良市)
総合愛称 ゆめはんな(中央線・近鉄けいはんな線統一愛称)
駅数 14駅
車両編成 6両編成
最多運用 メトロ車:17列車
近鉄車:11列車
使用列車 メトロ車:20系車両・24系車両
近鉄車:7000系車両・7020系車両
保有車両数 120両(6両×20編成)
検車場・車庫 森之宮検車場
最高速度 70km/h
軌間 1,435mm
電化方式 直流750V / 第三軌条方式
閉塞方式 自動閉塞式
信号保安装置 WS-ATC・CTC
駅間最長距離 1777m 高井田〜長田
駅間最短距離 681m 本町〜堺筋本町
最急勾配 40‰ コスモスクエア〜大阪港
最小曲線半径 158.1m 朝潮橋〜弁天町
新20系グループの中で少数派な24系 <拡大可>

大阪港〜朝潮橋間ではすっきりとした高架区間が続く <拡大可>
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駅番号 駅名 区間キロ 累計キロ ホーム形状 所在地 管区 連動駅 夜間留置
C10 コスモスクエア 0.0 0.0 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市住之江区南港北1丁目 コスモスクエア
C11 大阪港 2.4 2.4 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市港区築港3丁目 阿波座
C12 朝潮橋 1.5 3.9 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市港区田中3丁目 阿波座
C13 弁天町 1.6 5.5 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市港区波除3丁目 阿波座
C14 九条 1.3 6.8 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市西区九条1丁目 阿波座
C15 阿波座 1.5 8.3 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市西区西本町3丁目 阿波座
C16 本町 1.1 9.4 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市中央区船場中央4丁目 本町
C17 堺筋本町 0.7 10.1 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市中央区船場中央1丁目 堺筋本町
C18 谷町四丁目 1.0 11.1 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市中央区谷町4丁目 阿波座
C19 森ノ宮 1.3 12.4 2面3線複合型ホーム 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目 阿波座
C20 緑橋 1.2 13.6 1面2線島式ホーム 大阪府大阪市東成区東中本1丁目 阿波座
C21 深江橋 1.1 14.7 2面2線相対式ホーム 大阪府大阪市東成区深江北1丁目 阿波座
C22 高井田 1.4 16.1 1面2線島式ホーム 大阪府東大阪市川俣1丁目 阿波座
C23 長田 1.8 17.9 (0.0) 1面2線島式ホーム 大阪府東大阪市長田中2丁目 阿波座
C24 荒本 1.2 19.1 (1.2) 1面2線島式ホーム 大阪府東大阪市荒本北 生駒
C25 吉田 1.8 20.9 (3.0) 2面2線相対式ホーム 大阪府東大阪市今米1丁目 生駒
C26 新石切 1.5 22.4 (4.5) 2面3線島式ホーム 大阪府東大阪市西石切町3丁目 生駒
C27 生駒 5.7 28.1 (10.2) 1面2線島式ホーム 奈良県生駒市元町1丁目 生駒
C28 白庭台 5.1 33.2 (15.3) 2面2線相対式ホーム 奈良県生駒市白庭台6丁目 生駒
C29 学研北生駒 0.8 34.0 (16.1) 2面2線相対式ホーム 奈良県生駒市上町 生駒
C30 学研奈良登美ヶ丘 2.7 36.7 (18.8) 1面2線島式ホーム 奈良県奈良市中登美ヶ丘6丁目 生駒

※荒本・吉田・新石切・生駒・白庭台・学研北生駒・学研奈良登美ヶ丘は近鉄けいはんな線
配線略図

配線略図
建設の概要

1925(大正14)年 計画路線 <拡大可> 大阪市高速度交通機関協議会で1925(大正14)年10月に高速鉄道計画を策定、1926(大正15)年3月27日の市議会で都市計画決定された当初の計画では、4号線(中央線)は「港区築港桟橋東側〜市電築港線花園橋停留所〜西区伯楽橋西詰〜都市計画路線長堀線〜東成区大今里町〜大阪市区改正設計2等大路第1類第19号線〜住吉区今林町西端〜住吉区平野泥堂町〜国有鉄道関西線平野駅西端〜住吉区平野西脇町」の、全長17.10kmの路線として計画された。この当時の計画では全線が高架での計画であり、全線が第2期事業とされた。

1948(昭和23)年 路線改訂 <拡大可>
 1948(昭和23)年6月18日に市議会で確定した路線改訂では、東西の輸送力を増強するために1路線であったのを分割して2路線とした。中央線は築港深江線を通ることになって東に延びて、国鉄片町線放出方面までに変更され、将来今福・今津方面の情勢によってはこの方面に延長する含みを持たせた。区間は「港区三条通4丁目〜城東区放出町」で12.80kmの路線となった。
 大阪港周辺では、1903(明治36)年に大阪市初の市電が築港〜花園橋間で開業し、大阪港の発展に大きく寄与してきたが、昭和30年代に入ってからの自動車の普及に伴い、その機能が失われていた。そのため市電に代わるものとして、高速鉄道の建設が望まれていた。1956(昭和31)年に、大阪市が長年望んでいた国鉄大阪環状線が着工されることとなり、これに合わせて中央線の大阪港〜弁天町間を建設し、大阪港と都心を結ぶことになった。この時点での計画では上町台地付近(谷町四丁目付近)のみ地下で、それ以外は高架の計画だった。しかし、建設実施の段階に至って高架の是非についての議論が起こり、高架反対派からは、町の分断・景観・騒音などの問題が提起された。また、高架にすれば市電を撤去しなければならず、歴史的な大阪市初の市電、築港〜花園橋間を廃止するのは反対という意見もあった。しかしこの地区は地盤が悪く、大きな台風の度に冠水しており、地下構造物にすると浸水対策が不可能に近いものとなってしまう。また、中央線が通る都市計画街路築港深江線の幅員は、当時50m〜80mと広かったこともあり、町の分断・景観・騒音等には高架構造物となっても大きな影響はないと考えられた。このような経過で、道路中央の12mの中央分離帯を使用して、高架構造物として建設することが決定した。しかし、道路の中央に鉄道を入れることは全国初のことであり、建設省からは平面道路を使用するため、(1)橋脚間隔は12m以上とすること、(2)道路横断部分は極力1径間とすること、(3)駅施設は一切平面道路上に置いてはならないこと、(4)乗降客は平面道路を横断せずに乗降できること、(5)桁下空間は4.5m以上とすること、という条件が出された。この区間は大阪市初の高架区間となるので、設計基準を新たに決める必要があり、国鉄の基準を参考にして決定された。
 1959(昭和34)年11月20日に工事施行の認可を受け、1959(昭和34)年12月8日に大阪港〜弁天町間の建設に着手した。弁天町における国鉄大阪環状線・尼崎平野線との立体交差、都市計画街路築港深江線の未立退き部分の処理など、多くの困難を克服して、“港が見える地下鉄”として1961(昭和36)年12月11日に大阪港〜弁天町間が開業した。

1963(昭和38)年 基本計画 <拡大可>
 中央線を都心部と直接連絡させるため、東へ延長して御堂筋線と連絡することになった。特許申請通り弁天町〜本町間を高架として建設しようとしたが、関係先の了解を得ることができず、弁天町まで来ている高架をどの地点で地下にするかが問題となった。木津川以西は浸水の恐れがあり、高架でいきたいということで、木津川を渡ってから地下に入ることになった。1961(昭和36)年11月14日に弁天町〜本町間の建設に着手、九条付近の民家の立退き遅れや、阿波座付近の軟弱地盤対策・木津川橋梁工事などの問題があった。1964(昭和39)年10月31日に弁天町〜本町間が開業するが、本町付近の用地買収が相当遅れることになり、四つ橋筋から西横堀川までの西行き線路部に2両編成の列車が発着できるような仮駅を設置し、単線折返しで対応することになった。この仮駅は、本駅完成まで約5年間使用されることになる。なお御堂筋線との連絡は、300mほどの徒歩連絡となった。
 1963(昭和38)年3月29日の都市交通審議会答申第7号「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について」を受けて改訂された基本計画では、中央線は近年の大阪東部周辺地域の著しい発展に対応して、東側が石切まで延長された。
 中小企業の発展が著しい大阪東部と都心を結ぶため、本町以東の建設が急がれていた。また、谷町線の東梅田〜谷町四丁目間の建設に伴って車庫が必要となったため、谷町線の車庫連絡線も兼ねて、すでに開業していた区間とは離れた谷町四丁目〜森ノ宮間から着手することになった。この区間には史跡保存指定を受けている難波宮跡があり、開削工法ができなかった。また、谷町四丁目駅は谷町線との連絡線、森ノ宮駅が車庫との接続の関係で渡り線が必要で相対式ホームとなることから、単線シールドでは工事が難しい上に費用もかかってしまう事から、日本初の複線シールド工法が採用された。谷町四丁目〜森ノ宮間は、1965(昭和40)年1月21日に建設に着手、1967(昭和42)年9月30日に開業した。1966(昭和41)年1月10日に森ノ宮〜深江橋間の建設に着手した。この区間の築港深江線は40mに拡張予定であったが、当時は25mと狭くて交通量も多く、開削工法で施工するのは困難であった。また河川部の工法も考慮し、線路部は単線シールド工法が採用された。深江橋から先、放出方面に北上する計画がまだ残っていたため、深江橋駅は2両分のホームだけを建設し、森ノ宮〜深江橋間は1968(昭和43)年7月29日に開業した。

1977(昭和52)年 基本計画 <拡大可>
 東西分断されて営業していた中央線を結ぶ本町〜谷町四丁目間は、1967(昭和42)年6月20日に建設に着工した。この区間にある船場地区では、繊維問屋を中心として店舗が並んでいた。この地区の都市計画街路の事業費は、用地買収費などを含むと巨額なものとなってしまったため、建設省が容易に許可を出そうとしなかった。その中、道路の中央にビルを建設して立ち退く人々を収容し、その上に高速道路を走らせるという案が提案された。国で検討された結果、費用が安くつくということで意見がまとまった。地下鉄はビルの両側に1本ずつトンネルを造ることになり、本町駅のホームは扇形の変則的な形態となった。本町〜谷町四丁目間は、1969(昭和44)12月6日に開業し、中央線は1つにつながった。
 1971(昭和46)年12月8日の都市交通審議会答申第13号に基づき、1977(昭和52)年4月1日に高速鉄道計画路線が一部修正された。中央線は、1963(昭和38)年の基本計画では石切までの延伸計画を策定していたが、都市交通審議会答申第13号では深江橋〜生駒間が緊急整備区間に指定された。その後、大阪圏高速鉄道網整備推進会議で審議され、大阪府・大阪市・近鉄で協議の結果、大阪市は長田まで、長田〜生駒間は近鉄が建設し、相互直通運転を行うことになった。深江橋〜長田間は1985(昭和60)年4月5日に、長田〜生駒間は1986(昭和61)年10月1日に近鉄東大阪線として開業し、相互直通運転を開始した。
 1997(平成9)年12月18日には、大阪港トランスポートシステムのテクノポート線コスモスクエア〜大阪港間が開業し、相互直通運転を開始した。この区間は当時、南港への鉄道アクセスが住之江公園経由のニュートラムしか無いという事態を解消するために計画された路線であり、公共輸送ではなく利益誘導が主な目的であったために中央線の延伸という形では国からの補助を受けられなかったため、大阪港トランスポートシステムに事業を委ねたという経緯がある。しかし別料金で割高になり、利用者が低迷していたことから、2005(平成17)年7月1日からは大阪市の路線として一元的に運営されることになり、コスモスクエア〜大阪港間は4号線に編入された。ここで、中央線は現在の形となった。
 2006(平成18)年3月27日には近鉄が生駒〜学研奈良登美ヶ丘間を開業させ、長田〜学研奈良登美ヶ丘間と相互直通運転を行っている。
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< 現 役 >
 ・ 20系 1984(昭和59)年〜
 ・ 新20系(24系 / 24系50番台(2代)) 1991(平成3)年〜

 ・ 近鉄7000系 1986(昭和61)年〜
 ・ 近鉄7020系 2004(平成16)年〜


20系 <拡大可>
20系
新20系(24系/24系50番台(2代)) <拡大可>
新20系(24系/24系50番台(2代))
近鉄7000系 <拡大可>
近鉄7000系
近鉄7020系 <拡大可>
近鉄7020系


< 過 去 >
 ・ 6000形(後の800形→5800形) 1961(昭和36)年〜1978(昭和53)年
 ・ 6100形(後の900形→5900形) 1964(昭和39)年〜1978(昭和53)年
 ・ 7000-8000形(後の30系) 1967(昭和42)年〜1969(昭和44)年
 ・ 5000形(50系) 1969(昭和44)年〜1991(平成3)年
 ・ 30系 1984(昭和59)年〜1995(平成7)年

 ・ OTS系→新20系(24系50番台(初代)) 1997(平成9)年〜2006(平成18)年

6100形(後の900形→5900形) <拡大可>
6100形(後の900形→5900形)
5000形(50系) <拡大可>
5000形(50系)
30系 <拡大可>
30系
OTS系→新20系(24系50番台(初代)) <拡大可>
OTS系→新20系(24系50番台(初代))
ダイヤ

2018(平成30)年03月24日改正 【現行】

2018(平成30)年03月24日改正 2018(平成30)年3月24日改正ダイヤでは、増発に伴いダイヤ改正が行われた。
上り朝混雑時の3分45秒間隔で運行する時間帯を繰り上げるとともに、3分15秒〜3分45秒間隔に変更することで増発を行った。あわせて学研奈良登美ヶ丘発コスモスクエア行きの終発後に新たにコスモスクエア行きを2本増発、深夜のコスモスクエア発森ノ宮行きを長田行きに変更などが行われている。なお、長年初発に存在したコスモスクエア発長田行きは、生駒行きに変更となり消滅した。

平日ダイヤ 土休日ダイヤ
早朝 10分00秒 10分00秒
朝混雑時 3分15秒
〜3分45秒
5分00秒
昼間 7分30秒 7分30秒
夕混雑時 5分00秒 7分00秒
深夜 10分00秒 10分00秒

2013(平成23)年03月23日改正
2013(平成23)年03月23日改正 2013(平成23)年3月23日改正ダイヤでは、終発延長に伴い改正が行われた。
終発後のコスモスクエア発森ノ宮行きの回送2本を旅客化した。運転間隔の変更はない。

平日ダイヤ 土休日ダイヤ
早朝 10分00秒 10分00秒
朝混雑時 3分45秒 5分00秒
昼間 7分30秒 7分30秒
夕混雑時 5分00秒 7分00秒
深夜 10分00秒 10分00秒
旅客案内表示装置

行先表示装置 <拡大可> 中央線は行灯式旅客案内表示装置が最後まで残った路線である。現在の旅客案内表示装置はLCD式で、基本は日本語・英語の2か国語で、一部は日本語・英語・中国語・韓国語の4か国語に対応している。LCD化を前に、2006(平成18)年8月9日から朝潮橋駅で試験が実施された。2007(平成19)年より順次更新が進められ、行灯式の旅客案内表示装置は姿を消した。コスモスクエア駅はOTS時代から3色LED式であったが、今回の更新でLCD式に統一された。

行灯式→LCD式更新日
駅 名 日 付
コスモスクエア 2007.03.24
大 阪 港 2007.02.06
朝 潮 橋 2007.02.05
弁 天 町 2007.01.26
九 条 2007.01.25
阿 波 座 2007.02.09
本 町 2007.02.14
堺筋本町 2007.03.08
谷町四丁目 2007.03.04
森 ノ 宮 2007.01.31
緑 橋 2007.02.24
深 江 橋 2007.02.22
高 井 田 2007.03.02
長 田 2007.03.02
※コスモスクエア駅は3色LED式→LCD式。
行灯式 <拡大可>
行灯式
コスモスクエア駅3色LED式 <拡大可>
コスモスクエア駅3色LED式
朝潮橋駅LCD式試験 <拡大可>
朝潮橋駅LCD式試験
朝潮橋駅LCD式試験 <拡大可>
朝潮橋駅LCD式試験
その他

ピンク色の回送列車(千日前回送)
ピンクの回送列車 <拡大可> 千日前線の車庫は森之宮検車場を使用しており、千日前線車両の出入庫のための定期回送が、森ノ宮〜阿波座間で運行されている。そのため森ノ宮〜本町間では、毎日中央線を走る千日前線車両を見ることができる。

千日前回送時刻表
2018(平成30)年3月24日改正
平 日 土 休 日
運番23 森ノ宮6:31 → 阿波座6:38 運番30 森ノ宮7:12 → 阿波座7:19
運番24 森ノ宮6:38 → 阿波座6:45 運番31 阿波座8:44 → 森ノ宮8:51
運番25 森ノ宮6:54 → 阿波座7:00 運番32 阿波座11:02 → 森ノ宮11:09
運番26 森ノ宮7:07 → 阿波座7:15 運番33 森ノ宮11:24 → 阿波座11:32
運番27 森ノ宮7:18 → 阿波座7:24
運番30 阿波座9:25 → 森ノ宮9:32
運番31 阿波座9:37 → 森ノ宮9:44
運番32 阿波座10:10 → 森ノ宮10:17
運番33 森ノ宮16:02 → 阿波座16:09
運番34 森ノ宮16:17 → 阿波座16:24
運番35 阿波座19:37 → 森ノ宮19:45
運番36 阿波座19:54 → 森ノ宮20:01
運番37 阿波座20:09 → 森ノ宮20:16
運番38 阿波座20:23 → 森ノ宮20:30

中央線を走行する谷町線・千日前線車両、そして四つ橋線車両
中央線を走行する谷町線30系 <拡大可> 2016(平成28)年1月まで、谷町線・千日前線車両の全般・重要部検査が森之宮検車場で行われており、検査出場の試運転が中央線で行われていた。試運転区間が大阪港〜森ノ宮間で、谷町線・千日前線車両が普段走行しない高架区間を走行する珍しい光景がみられた。2016(平成28)年2月からは緑木検車場で全般・重要部検査が行われることになったため、中央線では基本的に試運転を行うことが無くなったが、ごく稀に行うことがある。
 2018(平成30)年1月17日には、谷町線22系第06編成の四つ橋線転属改造が森之宮検車場で行われた関係で、転属改造出場試運転が中央線にて行われ、四つ橋線23系第56編成となった元谷町線22系第06編成が試運転を行った。四つ橋線車両が中央線を走行したのは、これが史上初である。

谷町線22系

千日前線25系
四つ橋線23系 <拡大可>
四つ橋線23系
歴史

1925(大正14)年10月20日 大阪市高速度交通機関協議会で都市計画上の配慮が加えられ、高速鉄道計画路線策定(4路線約56km)
1926(大正15)年03月27日 「高速度交通機関敷設に関する件」市会提案・即日議決
1926(大正15)年03月29日 高速度交通機関路線都市計画決定(4路線54.489km)
1926(大正15)年04月26日 高速電気軌道、建設の特許を申請
1927(昭和02)年06月04日 高速電気軌道、建設の特許を取得(4路線54.489km)
4号線は港区築港〜住吉区平野西脇町間17.10km
1948(昭和23)年06月18日 戦災復興院主催大阪市高速度鉄道協議会第2回総会で高速鉄道路線網改訂決定(5路線76.46km)
4号線は大阪港〜放出間12.80km
1948(昭和23)年08月18日 都市計画法による路線変更手続(高速鉄道網改訂に伴う)
1948(昭和23)年09月02日 朝潮橋〜放出間、建設の特許を申請
1952(昭和27)年12月08日 「大阪市交通事業基本計画」市会議決(5路線76.46km、4号線は大阪港〜放出間12.80km)
10か年計画策定、完成目標1975(昭和50)年(4号線は大阪港〜森ノ宮間10.82km)
1958(昭和33)年03月28日 都市交通審議会答申第3号「大阪市及びその周辺における都市交通に関する答申」
大阪港付近〜本町〜放出付近に至るものが1975(昭和50)年を目途に考慮するのが適当とされ、このうち大阪港付近〜森の宮付近に至る区間が主力を注ぎ第1次的に完成することが最も適切とされる
1958(昭和33)年09月15日 「大阪市交通事業基本計画」変更案市会議決(5路線76.93km、4号線は大阪港〜放出間12.80km)
1959(昭和34)年02月21日 都市計画法による路線決定(5路線76.93km)
1959(昭和34)年02月23日 朝潮橋〜放出間、建設の特許を取得
変更前区間の朝潮橋(港区夕凪3丁目)〜平野(東住吉区平野西脇町)間起業廃止
1959(昭和34)年11月20日 大阪港〜朝潮橋間、工事施工認可
1959(昭和34)年11月20日 大阪港〜朝潮橋間、建設工事に着手
1960(昭和35)年06月20日 朝潮橋〜弁天町間、工事施工認可
1960(昭和35)年06月20日 朝潮橋〜弁天町間、建設工事に着手
1961(昭和36)年11月08日 弁天町〜本町間、工事施工認可
1961(昭和36)年11月08日 弁天町〜本町(仮駅)間、建設工事に着手
1961(昭和36)年12月11日 大阪港〜弁天町間開業、1両運転
港検車場開設
1963(昭和38)年03月19日 「大阪市交通事業基本計画」変更案市会議決(昭和38年基本計画:6路線115.16km、4号線は大阪港〜石切間・深江橋〜放出間20.50km)
緊急整備5か年計画市会議決(4号線は弁天町〜本町間3.82km・谷町四丁目〜深江橋間4.26km)
1963(昭和38)年03月29日 都市交通審議会答申第7号「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本的計画について」
大阪港〜荒本間が1975(昭和50)年度までに新設すべき路線、このうち弁天町〜本町間は緊急整備区間(1968(昭和43)年度までに新設すべき)とされる
1963(昭和38)年07月--日 森之宮車両工場開設
1964(昭和39)年10月31日 弁天町〜本町(仮駅)間開業、2両編成運転開始
1965(昭和40)年01月21日 谷町四丁目〜森ノ宮間、工事施工認可・建設工事に着手
1965(昭和40)年12月25日 森ノ宮〜深江橋(西半分)間、工事施工認可
1966(昭和41)年03月29日 「大阪市交通事業基本計画」変更案市会議決(6路線114.16km、4号線は大阪港〜石切間19.50km)
改訂緊急整備5か年計画市会議決(4号線は本町〜深江橋間の5.52km)
1966(昭和41)年12月28日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」制定(6路線114.16km、4号線は大阪港〜石切間19.50km)
1966(昭和41)年01月10日 森ノ宮〜深江橋(西半分)間、建設工事に着手
1966(昭和41)年10月01日 本町(仮駅)〜本町(本駅)間、建設工事に着手
1967(昭和42)年05月26日 本町〜谷町四丁目間、工事施工認可
1967(昭和42)年06月20日 本町〜谷町四丁目間、建設工事に着手
1967(昭和42)年09月30日 谷町四丁目〜森ノ宮間開業
1968(昭和43)年01月19日 森之宮検車場開設
1968(昭和43)年02月17日 深江橋(東半分)、工事施工認可
1968(昭和43)年02月17日 深江橋(東半分)、建設工事に着手
1968(昭和43)年02月22日 深江橋〜放出間、建設の特許失効
1968(昭和43)年07月29日 森ノ宮〜深江橋間開業
1969(昭和44)年01月09日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」改正(6路線108.45km、4号線は大阪港〜石切間19.50km)
1969(昭和44)年04月16日 港検車場を港検車区に改称
1969(昭和44)年07月01日 本町駅(本駅)完成
1969(昭和44)年11月--日 森之宮検車場・森之宮車両工場へ検修業務を移管
港検車区を廃止
1969(昭和44)年11月16日 4両編成運転開始
1969(昭和44)年12月06日 本町〜谷町四丁目間開業
愛称が中央線に決定
1970(昭和45)年12月06日 森之宮車両工場港作業場開設
1971(昭和46)年05月07日 深江橋(東側の線路部)、工事施工認可
1971(昭和46)年08月19日 深江橋(東側の線路部)、建設工事に着手
1971(昭和46)年12月08日 都市交通審議会答申第13号「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本的計画について」
深江橋〜荒本〜生駒〜新田辺間が1985(昭和60)年までに新設すべき路線、このうち深江橋〜生駒間は新設すべき路線のうち緊急に実施すべき区間とされる
1975(昭和50)年01月30日 近畿日本鉄道と相互直通運転に関する確認書を締結
1975(昭和50)年02月08日 深江橋〜長田間、建設の特許を申請
1976(昭和51)年04月16日 車内放送自動化開始
1977(昭和52)年03月22日 深江橋〜長田間、建設の特許を取得
1977(昭和52)年04月01日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」改正(6路線108.0km・中量軌道7km、4号線は大阪港〜長田間)
1977(昭和52)年05月--日 森之宮車両工場港作業場廃止
1977(昭和52)年09月16日 東大阪生駒電鉄株式会社設立(近畿日本鉄道全額出資)
1977(昭和52)年12月21日 東大阪生駒電鉄と相互直通運転に関する確認書を締結(近鉄と締結した確認書を読みかえる形で実施)
1978(昭和53)年03月22日 東大阪生駒電鉄と相互直通運転の基本協定書を締結
1979(昭和54)年01月31日 深江橋〜長田間、工事施工認可
1979(昭和54)年03月16日 深江橋〜長田間、建設工事に着手
1982(昭和57)年02月--日 大阪府市合同鉄道網整備調査委員会「大阪を中心とする鉄道網整備構想について」
中ふ頭〜大阪港間が構想される
1984(昭和59)年03月28日 20系車両試運転開始
1984(昭和59)年11月05日 6両編成運転開始
1984(昭和59)年12月24日 20系車両営業開始
1985(昭和60)年04月05日 深江橋〜長田間開業
1985(昭和60)年11月21日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」改正(8路線120.9km・中量軌道7km、4号線は大阪港〜長田間)
1986(昭和61)年04月--日 近畿日本鉄道が東大阪生駒電鉄を吸収合併
1986(昭和61)年09月23日 近鉄東大阪線開業に伴うダイヤ改正により、近鉄7000系車両乗り入れ開始
1986(昭和61)年10月01日 近畿日本鉄道東大阪線長田〜生駒間開業
大阪港〜生駒間にて相互直通運転を開始
1989(平成元)年05月31日 運輸政策審議会答申第10号「大阪圏における地下鉄を中心とする交通網に関する基本計画について」
中ふ頭〜大阪港間が2005(平成17)年までに整備されることが適当である区間、コスモスクエア〜北港北間が2005(平成17)年までに整備に着手することが適当である区間、北港北〜此花方面間が今後整備について検討すべき方向とされる
近鉄線の延伸として生駒〜高の原間が2005(平成17)年までに整備されることが適当である区間、途中分岐〜祝園間が今後路線整備ついて検討すべき区間、高の原〜木津方面間が今後路線整備について検討すべき方向とされる
1989(平成元)年11月09日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」改正(9路線150km・中量軌道7km、4号線は大阪港〜長田間)
1991(平成03)年06月11日 新20系(24系)車両が営業開始
1993(平成05)年12月31日 中央線で大晦日終夜運転の実施開始(御堂筋線・堺筋線と共に大阪市交通局初)
1996(平成08)年04月01日 大阪港トランスポートシステムと相互直通運転の基本協定書を締結
1997(平成09)年12月18日 大阪港トランスポートシステム南港・港区連絡線大阪港〜中ふ頭間開業
コスモスクエア〜生駒間にて相互直通運転開始
1998(平成10)年04月01日 森之宮車両工場を森之宮車両管理事務所へ改称
1998(平成10)年07月28日 奈良生駒高速鉄道株式会社設立
2002(平成14)年09月30日 「大阪市交通事業の設置等に関する条例」改正(9路線150km・中量軌道7km、4号線は大阪港〜長田間)
2004(平成16)年10月08日 近畿地方交通審議会答申第8号「近畿圏における望ましい交通のあり方について」
此花方面〜コスモスクエア間が中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する路線の事業中路線とされる
2004(平成16)年12月01日 近鉄7020系車両乗り入れ開始
2005(平成17)年07月01日 大阪港〜コスモスクエア間を中央線に編入、大阪市営地下鉄で唯一の鉄道事業法区間となる
2005(平成17)年10月26日 中央線・東大阪線・けいはんな線の統一愛称が「ゆめはんな」に決定
2005(平成17)年10月29日 近鉄生駒駅の入庫専用線が開通
2006(平成18)年03月27日 近畿日本鉄道けいはんな線生駒〜学研奈良登美ヶ丘間開業、長田〜生駒間をけいはんな線に改称
コスモスクエア〜学研奈良登美ヶ丘間に相互直通運転区間を延長
2006(平成18)年08月09日 朝潮橋にて液晶旅客案内表示装置の試験を開始
2007(平成19)年01月10日 本町〜長田間で発車メロディー化
※緑橋・深江橋・高井田を除く
2007(平成19)年01月12日 コスモスクエア〜阿波座間で発車メロディー化
※朝潮橋・弁天町・九条を除く
2007(平成19)年03月24日 指令所を中央線運転指令所から輸送指令所へ移転、接近放送を更新
朝潮橋・弁天町・九条・緑橋・深江橋・高井田で発車メロディー使用開始
2018(平成30)年04月01日 大阪市交通局民営化、大阪市高速電気軌道株式会社の路線となる
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