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2019.07.14更新 歴史を更新しました。 |
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※荒本・吉田・新石切・生駒・白庭台・学研北生駒・学研奈良登美ヶ丘は近鉄けいはんな線 |
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■配線略図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■建設の概要 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪市高速度交通機関協議会で1925(大正14)年10月に高速鉄道計画を策定、1926(大正15)年3月27日の市議会で都市計画決定された当初の計画では、4号線(中央線)は「港区築港桟橋東側〜市電築港線花園橋停留所〜西区伯楽橋西詰〜都市計画路線長堀線〜東成区大今里町〜大阪市区改正設計2等大路第1類第19号線〜住吉区今林町西端〜住吉区平野泥堂町〜国有鉄道関西線平野駅西端〜住吉区平野西脇町」の、全長17.10kmの路線として計画された。この当時の計画では全線が高架での計画であり、全線が第2期事業とされた。 |
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1948(昭和23)年6月18日に市議会で確定した路線改訂では、東西の輸送力を増強するために1路線であったのを分割して2路線とした。中央線は築港深江線を通ることになって東に延びて、国鉄片町線放出方面までに変更され、将来今福・今津方面の情勢によってはこの方面に延長する含みを持たせた。区間は「港区三条通4丁目〜城東区放出町」で12.80kmの路線となった。 大阪港周辺では、1903(明治36)年に大阪市初の市電が築港〜花園橋間で開業し、大阪港の発展に大きく寄与してきたが、昭和30年代に入ってからの自動車の普及に伴い、その機能が失われていた。そのため市電に代わるものとして、高速鉄道の建設が望まれていた。1956(昭和31)年に、大阪市が長年望んでいた国鉄大阪環状線が着工されることとなり、これに合わせて中央線の大阪港〜弁天町間を建設し、大阪港と都心を結ぶことになった。この時点での計画では上町台地付近(谷町四丁目付近)のみ地下で、それ以外は高架の計画だった。しかし、建設実施の段階に至って高架の是非についての議論が起こり、高架反対派からは、町の分断・景観・騒音などの問題が提起された。また、高架にすれば市電を撤去しなければならず、歴史的な大阪市初の市電、築港〜花園橋間を廃止するのは反対という意見もあった。しかしこの地区は地盤が悪く、大きな台風の度に冠水しており、地下構造物にすると浸水対策が不可能に近いものとなってしまう。また、中央線が通る都市計画街路築港深江線の幅員は、当時50m〜80mと広かったこともあり、町の分断・景観・騒音等には高架構造物となっても大きな影響はないと考えられた。このような経過で、道路中央の12mの中央分離帯を使用して、高架構造物として建設することが決定した。しかし、道路の中央に鉄道を入れることは全国初のことであり、建設省からは平面道路を使用するため、(1)橋脚間隔は12m以上とすること、(2)道路横断部分は極力1径間とすること、(3)駅施設は一切平面道路上に置いてはならないこと、(4)乗降客は平面道路を横断せずに乗降できること、(5)桁下空間は4.5m以上とすること、という条件が出された。この区間は大阪市初の高架区間となるので、設計基準を新たに決める必要があり、国鉄の基準を参考にして決定された。 1959(昭和34)年11月20日に工事施行の認可を受け、1959(昭和34)年12月8日に大阪港〜弁天町間の建設に着手した。弁天町における国鉄大阪環状線・尼崎平野線との立体交差、都市計画街路築港深江線の未立退き部分の処理など、多くの困難を克服して、“港が見える地下鉄”として1961(昭和36)年12月11日に大阪港〜弁天町間が開業した。 |
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中央線を都心部と直接連絡させるため、東へ延長して御堂筋線と連絡することになった。特許申請通り弁天町〜本町間を高架として建設しようとしたが、関係先の了解を得ることができず、弁天町まで来ている高架をどの地点で地下にするかが問題となった。木津川以西は浸水の恐れがあり、高架でいきたいということで、木津川を渡ってから地下に入ることになった。1961(昭和36)年11月14日に弁天町〜本町間の建設に着手、九条付近の民家の立退き遅れや、阿波座付近の軟弱地盤対策・木津川橋梁工事などの問題があった。1964(昭和39)年10月31日に弁天町〜本町間が開業するが、本町付近の用地買収が相当遅れることになり、四つ橋筋から西横堀川までの西行き線路部に2両編成の列車が発着できるような仮駅を設置し、単線折返しで対応することになった。この仮駅は、本駅完成まで約5年間使用されることになる。なお御堂筋線との連絡は、300mほどの徒歩連絡となった。 1963(昭和38)年3月29日の都市交通審議会答申第7号「大阪市およびその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について」を受けて改訂された基本計画では、中央線は近年の大阪東部周辺地域の著しい発展に対応して、東側が石切まで延長された。 中小企業の発展が著しい大阪東部と都心を結ぶため、本町以東の建設が急がれていた。また、谷町線の東梅田〜谷町四丁目間の建設に伴って車庫が必要となったため、谷町線の車庫連絡線も兼ねて、すでに開業していた区間とは離れた谷町四丁目〜森ノ宮間から着手することになった。この区間には史跡保存指定を受けている難波宮跡があり、開削工法ができなかった。また、谷町四丁目駅は谷町線との連絡線、森ノ宮駅が車庫との接続の関係で渡り線が必要で相対式ホームとなることから、単線シールドでは工事が難しい上に費用もかかってしまう事から、日本初の複線シールド工法が採用された。谷町四丁目〜森ノ宮間は、1965(昭和40)年1月21日に建設に着手、1967(昭和42)年9月30日に開業した。1966(昭和41)年1月10日に森ノ宮〜深江橋間の建設に着手した。この区間の築港深江線は40mに拡張予定であったが、当時は25mと狭くて交通量も多く、開削工法で施工するのは困難であった。また河川部の工法も考慮し、線路部は単線シールド工法が採用された。深江橋から先、放出方面に北上する計画がまだ残っていたため、深江橋駅は2両分のホームだけを建設し、森ノ宮〜深江橋間は1968(昭和43)年7月29日に開業した。 |
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東西分断されて営業していた中央線を結ぶ本町〜谷町四丁目間は、1967(昭和42)年6月20日に建設に着工した。この区間にある船場地区では、繊維問屋を中心として店舗が並んでいた。この地区の都市計画街路の事業費は、用地買収費などを含むと巨額なものとなってしまったため、建設省が容易に許可を出そうとしなかった。その中、道路の中央にビルを建設して立ち退く人々を収容し、その上に高速道路を走らせるという案が提案された。国で検討された結果、費用が安くつくということで意見がまとまった。地下鉄はビルの両側に1本ずつトンネルを造ることになり、本町駅のホームは扇形の変則的な形態となった。本町〜谷町四丁目間は、1969(昭和44)12月6日に開業し、中央線は1つにつながった。 1971(昭和46)年12月8日の都市交通審議会答申第13号に基づき、1977(昭和52)年4月1日に高速鉄道計画路線が一部修正された。中央線は、1963(昭和38)年の基本計画では石切までの延伸計画を策定していたが、都市交通審議会答申第13号では深江橋〜生駒間が緊急整備区間に指定された。その後、大阪圏高速鉄道網整備推進会議で審議され、大阪府・大阪市・近鉄で協議の結果、大阪市は長田まで、長田〜生駒間は近鉄が建設し、相互直通運転を行うことになった。深江橋〜長田間は1985(昭和60)年4月5日に、長田〜生駒間は1986(昭和61)年10月1日に近鉄東大阪線として開業し、相互直通運転を開始した。 1997(平成9)年12月18日には、大阪港トランスポートシステムのテクノポート線コスモスクエア〜大阪港間が開業し、相互直通運転を開始した。この区間は当時、南港への鉄道アクセスが住之江公園経由のニュートラムしか無いという事態を解消するために計画された路線であり、公共輸送ではなく利益誘導が主な目的であったために中央線の延伸という形では国からの補助を受けられなかったため、大阪港トランスポートシステムに事業を委ねたという経緯がある。しかし別料金で割高になり、利用者が低迷していたことから、2005(平成17)年7月1日からは大阪市の路線として一元的に運営されることになり、コスモスクエア〜大阪港間は4号線に編入された。ここで、中央線は現在の形となった。 2006(平成18)年3月27日には近鉄が生駒〜学研奈良登美ヶ丘間を開業させ、長田〜学研奈良登美ヶ丘間と相互直通運転を行っている。 |
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■使用車両 >>> 各形式の紹介はこちら | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
< 現 役 > ・ 20系 1984(昭和59)年〜 ・ 新20系(24系 / 24系50番台(2代)) 1991(平成3)年〜 ・ 近鉄7000系 1986(昭和61)年〜 ・ 近鉄7020系 2004(平成16)年〜
< 過 去 > ・ 6000形(後の800形→5800形) 1961(昭和36)年〜1978(昭和53)年 ・ 6100形(後の900形→5900形) 1964(昭和39)年〜1978(昭和53)年 ・ 7000-8000形(後の30系) 1967(昭和42)年〜1969(昭和44)年 ・ 5000形(50系) 1969(昭和44)年〜1991(平成3)年 ・ 30系 1984(昭和59)年〜1995(平成7)年 ・ OTS系→新20系(24系50番台(初代)) 1997(平成9)年〜2006(平成18)年
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■ダイヤ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●2018(平成30)年03月24日改正 【現行】 2018(平成30)年3月24日改正ダイヤでは、増発に伴いダイヤ改正が行われた。 上り朝混雑時の3分45秒間隔で運行する時間帯を繰り上げるとともに、3分15秒〜3分45秒間隔に変更することで増発を行った。あわせて学研奈良登美ヶ丘発コスモスクエア行きの終発後に新たにコスモスクエア行きを2本増発、深夜のコスモスクエア発森ノ宮行きを長田行きに変更などが行われている。なお、長年初発に存在したコスモスクエア発長田行きは、生駒行きに変更となり消滅した。
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●2013(平成23)年03月23日改正 2013(平成23)年3月23日改正ダイヤでは、終発延長に伴い改正が行われた。 終発後のコスモスクエア発森ノ宮行きの回送2本を旅客化した。運転間隔の変更はない。
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■旅客案内表示装置 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中央線は行灯式旅客案内表示装置が最後まで残った路線である。現在の旅客案内表示装置はLCD式で、基本は日本語・英語の2か国語で、一部は日本語・英語・中国語・韓国語の4か国語に対応している。LCD化を前に、2006(平成18)年8月9日から朝潮橋駅で試験が実施された。2007(平成19)年より順次更新が進められ、行灯式の旅客案内表示装置は姿を消した。コスモスクエア駅はOTS時代から3色LED式であったが、今回の更新でLCD式に統一された。
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■その他 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●ピンク色の回送列車(千日前回送) 千日前線の車庫は森之宮検車場を使用しており、千日前線車両の出入庫のための定期回送が、森ノ宮〜阿波座間で運行されている。そのため森ノ宮〜本町間では、毎日中央線を走る千日前線車両を見ることができる。
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●中央線を走行する谷町線・千日前線車両、そして四つ橋線車両 2016(平成28)年1月まで、谷町線・千日前線車両の全般・重要部検査が森之宮検車場で行われており、検査出場の試運転が中央線で行われていた。試運転区間が大阪港〜森ノ宮間で、谷町線・千日前線車両が普段走行しない高架区間を走行する珍しい光景がみられた。2016(平成28)年2月からは緑木検車場で全般・重要部検査が行われることになったため、中央線では基本的に試運転を行うことが無くなったが、ごく稀に行うことがある。 2018(平成30)年1月17日には、谷町線22系第06編成の四つ橋線転属改造が森之宮検車場で行われた関係で、転属改造出場試運転が中央線にて行われ、四つ橋線23系第56編成となった元谷町線22系第06編成が試運転を行った。四つ橋線車両が中央線を走行したのは、これが史上初である。 |
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■歴史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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